産後クライシスは話し合いで解決できるか
出産後の夫婦のすれ違いは、別居・離婚をめぐる相談へと発展することがあります。ここでは、こうした産後のすれ違いを「話し合い」で解決しようとするとき、何が解決できて、何が二人の話し合いだけでは解けにくいのかを整理してみます。
なお、以下では説明をわかりやすくするため、産後に妻が主に育児を担う場合を前提として説明します。夫が主に育児を行う場合は、「夫」と「妻」、そして「父親」と「母親」を適宜読み替えてください。
察してくれないのは愛されていないから?
産後の夫婦の不和(いわゆる「産後クライシス」)は、しばしば「夫が妻の大変さ(育児負担やホルモンバランスの変化など)を理解していない。夫が気持ちを察して自発的に動けば解決するのではないか」という形で語られます。
実際に、育児や家事の負担が夫婦の一方に過度に偏っている家庭はあります。その場合、負担が少ない親が役割を引き受けることは必要ですし、負担が少ない親が相手の気持ちを正確に察して自ら分担を引き受けることができれば、解決につながりやすいといえます。
しかし現実には、正確に気持ちを察することが難しいこともあるようです。夫婦は互いに「愛情があるなら自分の気持ちを言わなくてもわかってくれるはず」と考えがちです。しかし、それは必ずしも正しくありません。曖昧な言い回しの意図が相手に伝わるかを調べた心理学実験では、話し手は相手が配偶者なら伝わりやすいと予想していたものの、実際の伝わりやすさは、知らない相手に伝えた場合と統計的に有意な差がなかったと報告されています(Savitskyら、2011)1。これは、人は親しい相手には「説明を省いても伝わる」と思い込みやすく、そのために誤解が生じる可能性を示唆しています。
また、夫が相手の気持ちを察して行動しようとしても、正しく察するとができないと、その行動が妻から否定され、さらに夫婦関係が悪化する可能性もあります。この場合、夫は、妻からの「何をすればよいか、言われなくても自分で気づいて動いてほしい」という要求と「私のやり方や子どもの状態を理解せず、勝手なことはしないでほしい」という要求という、一見すると両立させることが難しい二つの要求の間で、身動きが取れなくなったと感じることもあります。
相手が自分の気持ちや要望を正しく察することができないからといって、相手に愛情がないわけではありません。自分の期待や要望が相手に伝わっていないと感じたときは、夫婦の双方が、何に困り、何を変えてほしいのかを、できるだけ具体的な言葉にして話し合う方が解決しやすいといえます。
もっとも、夫が「何をしてほしいか具体的に説明してほしい」と妻に求めると、今度は、必要な仕事を見つけ、整理し、相手に割り振るというマネジメント的な負担まで、妻に集中してしまう危険があります。そこで、どちらか一方が指示役になるのではなく、二人で必要な作業を書き出し、「必ず相談すること」「各自の判断で行ってよいこと」「最低限守る基準」を決める方法があります。
育児がつらいのは子を愛していないから?
さらに、産後クライシスには、コミュニケーションの問題よりも深い問題が関係していることもあります。
子育て、とりわけ乳幼児の養育は過酷な営みです。母親には、妊娠・出産からの身体的回復が必要な時期に育児が始まるという負担があります。加えて、乳幼児のケアを主に担う親は、睡眠や行動の自由をより継続的に制約され、心の休まる時間を持ちにくくなります。自分自身が体調不良などで休息やケアを必要としていても、言葉で意思を伝えられない乳幼児の要求に応え続けなければならないことがあります。
また、この時期には、出産していない側の親にも精神的な不調が生じることがあります。強い落ち込み、不安、不眠、混乱などが続く場合には、夫婦間の話し合いだけで解決しようとせず、医療機関や保健機関などの専門的な支援につなぐことも必要です。
一方で、わが子は親にとってかわいく何よりも大切な存在です。そして社会にも「育児をするのは幸せなこと」「母親なら当然できるはず」という強い規範があります。そのような規範のもとでは、母親は自分の疲れや否定的な感情を表現しにくくなり、場合によっては、それを意識することにも罪悪感を持ち、心の中に内的葛藤を抱えることがあります。その葛藤を、子どもにぶつけるわけにはいきません。そして行き場をなくした感情は、配偶者への苛立ち、距離、沈黙、自責などの形で現れることがあります。
そのようなときは、夫から「何をしてほしいのか言葉にして」と求められても、妻は正確に答えられないかもしれません。感情の原因が夫の行動だけにあるとは限らないからです。上述の「両立しにくい要求」が生じる背景には、母親自身の内的葛藤が関係している場合もあります(ただし、実際の負担の偏りや夫の行動が原因となっている場合もあるため、内的葛藤だけで説明できると決めつけることもできません)。
人がこのような内的葛藤を抱えるのは、育児に限りません。たとえば仕事でも「弱音を吐かず家庭を支えるべきだ」といった規範があると、どれだけ仕事がつらくても、出口をふさがれてしまうことがあります。ここで問題にすべきなのは、つらさを抱えた個人の弱さではなく、その人がつらさを自覚し、表現することさえ難しくする社会的な規範です。
育児に関しては、「子どもを愛していることと、その世話をつらいと感じることは矛盾しない」ということを、母親自身だけでなく、夫や周囲の人が共有する必要があるでしょう。また夫は、「妻が何をしてほしいのかわからない」と感じたら、妻の苦痛の背景に目を向けながら対応する姿勢が必要だと考えられます。
職場と家庭の時間の取り合い
「両立しにくい要求」は、夫婦の間だけでなく、職場と家庭の間という、よりマクロな社会構造のレベルにも存在していると考えられます。
人間の育児は歴史的に見ても、親だけで完結するものではなく、親族や周囲の人々の助けを受けながら行われることが少なくありませんでした。また、農業や家内制手工業が中心だった社会では、仕事と家庭生活の場が、現在ほど明確に分かれていない場合も多くありました。しかし、賃金労働と職住分離が広がるにつれて、父親が先に家庭を離れ、決められた時間を職場で過ごすことが一般的になったという経緯があります。
その後、日本の生産年齢人口は1995年をピークに減少しており、女性や高齢者の就業の拡大は、労働力の減少を補う役割を果たしてきました。女性の労働市場への参加拡大には、個人の選択や男女平等の実現という面に加えて、社会からその労働力が必要とされたという面があります。
しかし、家庭のためにかける必要のある時間が、仕事にかける時間が増えた分だけ減ったわけではありません。現在の親は、職場からは労働者としての役割を、家庭からは養育者としての役割を同時に求められています。このような「両立しにくい要求」は、仕事と家庭の役割葛藤として捉えることができます。
現在の夫婦だけを見れば、育児時間の分担をめぐって夫婦が争っているように見えるかもしれません。しかしその夫婦の争いは、歴史的・社会的な視点から見れば、職場と家庭が、労働者(親)の限られた時間を取り合うようになった結果として生じている面があるということです。ですから、相手の心がけだけでは解消できない問題については、働き方、外部サービス、親族や地域からの支援なども含めて検討する必要があります。
なお、育児休業などの制度が整備されているとはいえ、これが必ず救いになるとも限りません。育児休業は、労働者が子を養育するために仕事を休める制度です。しかし、一方の親だけが育児休業を取得して家で過ごし、親族、地域、保育サービスなどからの支援も乏しい場合には、乳児期のケアが家庭内の一人の親に長期間集中し、養育者を孤立させることがあります。人によっては、保育サービスを利用して早めに仕事へ復帰することが、心理的な孤立を避けることにつながる場合もあります。
原因を一方に決めつけない
以上のように、子育てそのものから生じる疲労や拘束感は、相手の行動を変えるだけで解決するとは限りません。「行動を変えれば解決するはずだ」という前提に立ってしまうと、解決しなかった場合には、努力した側に「これだけ努力しているのに」という徒労感が生まれ、かえって夫婦関係が悪化してしまうこともあります。
ですから話し合いの場では、どちらか一方に原因を決めつけないことが大切です。相手と負担の分担について話し合うことは必要ですが、相手の行動が変われば必ず問題が解決する、とも限りません。夫婦の双方が「相手のせいだけではないかもしれない」「自分がまだ気づいていない問題があるかもしれない」という両方の可能性を意識しつつ話し合えると、関係の改善に近づきます。
ただし、暴力、威圧、経済的支配、子どもへの虐待など、責任の所在を曖昧にしてはならない問題についてまで、当事者同士の話し合いによる解決を安易に求めるべきではありません。安全の確保や専門機関への相談を優先する必要があります。
第三者が話し合いに関わる意義は、どちらの感情が正しいかを決めることではなく、夫婦間で調整できる問題、外部の支援が必要な問題、安全の確保を優先すべき問題を整理し、具体的な合意が可能な部分を見つけることにあります。
産後の夫婦関係を支えるために必要なのは、一方の理解と行動だけではありません。子育てそれ自体が、人を疲れさせ、ときに最も身近な人との関係を揺さぶるほど大変な営みであること、そしてそのつらさを正直に口にしにくい空気が親をいっそう追い込むこと——その前提に立ち、話し合いで解決できることと、子育てや家庭の置かれた状況そのものから生じていることとを見分けていくことが、産後の難しい時期を通り抜ける助けになるのではないかと思います。
もし当事者だけでそれらを見分けることが難しいと感じたときは、悪循環に陥る前に、第三者の専門的な力を借りることも検討してみてください。
- Savitsky, K., Keysar, B., Epley, N., Carter, T., & Swanson, A.(2011)“The Closeness-Communication Bias: Increased Egocentrism among Friends versus Strangers.” Journal of Experimental Social Psychology, 47(1), 269–273. ↩︎

