中年期後期の夫婦はなぜすれ違いやすいか
夫婦は結婚後に二人で生活基盤を作り、子育てなどの課題に取り組みますが、それらを達成した後の中年期後期(あるいは更年期)について考えてみましょう。夫婦が互いに「相手から与えられている」という感覚を持ち続けるには、一緒に食事する、散歩する、会話する、スキンシップを持つ、看病する(される)など、様々な関わりを続けることが大切だと言われています。
ただこれらの行為は「看病」を除くと、どれも、相手に「してほしい」と求める必要性があまり高くはない行為であることには注意が必要ではないかと思います(関係継続のためには必要であっても)。病気になれば、病院に付き添ってほしい、生活を助けてほしい、用事を肩代わりしてほしいといったニーズが発生します。しかしその他の行為、つまり、散歩や食事を共にする、会話、スキンシップといったことは、しなくても生活は成り立ってしまうのです。
さらにスキンシップについては、それを受ける側にとって、応じるかどうかを選ぶ余地がない状況も起こり得ます。特に、子どもの巣立ちなどの環境変化や身体的な変化により、「自分の時間や身体は自分のもの」という感覚を取り戻そうとしている時期に、以前と同じようなスキンシップが求められると、不快に感じることもあるかもしれません。「家の中ですれ違うときに配偶者の体が触れることすら嫌がる」というような行動が見られることもあると言われますが、それは結果的に、自分の身体の「境界」を相手に示し直す作業になっていると言えるかもしれません。
またこの時期は、ケア役割を担ってきた側(たとえば妻側)から、過去の不満や怒りが噴き出しやすい時期でもあります。ケア役割を担ってきた時の感情が呼び起こされ、夫への不満として表れるのです。しかし夫は、なぜ過去の不満が今頃持ち出されるのかがわからない、といったことも起こりやすいと考えられます。
その場合、夫は「なぜ今さら昔のことを持ち出すのか?」と応じるのではなく、まずは妻の「その時には言う余裕がなかった、言っても通る状況ではなかった」という不満を十分に理解する必要があると思います。そして妻側も、もしも可能であれば、自分の不満が相手には理解されにくい現実を意識して、少しずつ言語化できれば良いと思います。
中年期後期に夫婦関係が揺らぎ始めたときには、差し迫った必要性のない散歩や食事、会話を、あえて共にすることにも意味があるはずです。ただ注意すべきなのは、それらを「夫婦だから共にするべきである」という態度が夫婦の一方に少しでも出ると、境界を引き直そうとしている相手の気持ちとぶつかり、かえって関係が悪化する危険がある点ではないかと思います。関係改善の努力が、境界への侵入や支配だと受け取られることがあるのです。その場合は、関係改善のための行動が必要だと感じていても、自分からはそのような機会を求めずに「ただ待つ」という姿勢も必要なのかもしれません。
加えて、二人で将来に夢を描くのが難しくなり、そもそも相手との関係を続けたいという気持ち自体が失われてしまうと、関係改善の努力をする動機すら生じないところに、この時期の夫婦関係特有の難しさがあるようにも思います。だからこそ、関係が決定的に悪化する前に、相手の境界を侵すなどの間違った対応や努力をしないように注意し、相互に与えあっている感覚を維持していくことが、「中年期後期の危機」とも言えるこの時期の夫婦には必要ではないかと思います。
なお、一緒に農作業やその他の家業などの仕事を続けている夫婦は、二人の間に共通の希望や課題が残りやすく、相手を必要とする感覚が比較的維持されやすいとは言えるかもしれません。また子どもの有無にかかわらず、子育て以外の形で二人の関係の意味を継続的に問い直してきた夫婦は、中年期後期の夫婦関係の危機を回避しやすい面があるでしょう。
そして、夫婦が一緒にいる必要性が低下する中年期後期を乗り越えられれば、その先には身体機能や判断力の更なる低下により、再び支え合う相手の必要性が高まる夫婦の老年期が待っています。仲睦まじく支え合うように見える老夫婦の様子は、若いころとは別の意味で、再び互いを必要とし、与えあうようになった夫婦の姿だと言えるかもしれません。

